
明治初期から堺で商店を営んでいたという酒屋さん。
創業当時、堺には100を超える酒蔵があり、灘や伏見と並ぶ酒どころだったが、1971年に全ての蔵がなくなった。
それを憂いた店主の河合忠克さんは、所属するまちづくり団体「大小路界隈『夢』倶楽部」で酒造りをすることを決意。その第一弾で造られたのが「夢衆」という日本酒だったという。
「夢衆」は、酣(たけなわ)の酒。酣というのは酒に一番甘みが出ている状態のことで、「酒は甘みがないとあかん」というのが、店主の酒造りの師の持論だったそうだ。販売当時は人手も少なかったため、ボランティアや友人などの繋がりで人が集い、全員で米や瓶を洗っていたという。河合さんも、その時に初めて自分の手で酒造りを体験。そうやって自ら酒造りをしたことでお酒の見方が変わり、「堺の酒造りへの思いを伝えたい」という気持ちも大きくなったのだとか。
残念ながら、現在は「夢衆」は製造されていないが、その思いを継ぐのが「千利休」だ。
「千利休」は常時販売している3種類と、夏と冬など季節ごとに限定のものも。ボトルの酒蓋には「一歩一歩大事に歩いていく」という意味を込めて、旧字体の「歩」の字をデザインした。
さらに、河合さんは地酒以外にも堺のまちづくりの活動に積極的に参加している。20年前に手伝い始めたという「おたび寄席」は、通算での開催は500回を超え、これまでに著名な噺家さんも高座に上がってくれたという。
また、こちらは白洋舎の加盟店でもあり、クリーニング店としても地域の人々に愛されている。
洋服のほか、布団・絨毯・皮・着物など特殊なものも取り扱い可能なので「何でも相談しにきて」とのことだった。
様々な形で堺のまちづくりを支えている店主、そして堺の酒蔵の思いが受け継がれた堺の御酒「千利休」。是非一度、その思いに触れてみて。