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ゴールデンゾーンの
歩き方

どこから攻める、堺ゴールデンゾーン
<阪堺電車編>
~大阪市内からチンチン電車で堺の中心に突入、古き良き堺を訪ねるコース~

所要時間:数時間〜

大阪に唯一残る路面電車「阪堺電車」は、大阪の天王寺駅前駅あるいは恵美須町駅から大阪市の風情ある街並みを通り、大和川を超えて堺市内に向かっていきます。
大和川の鉄橋を越えて、大和川駅の次の高須神社停留所で下車します。
駅から細い路地を西に進むと昔の面影が残る紀州街道に出ます。
この界隈は、第二次世界大戦の空襲を免れた古き良き堺の街並みが残っていて、江戸時代から明治大正の堺の面影を楽しむことができます。

紀州街道を越えて西へ少し進むと、「鉄砲鍛冶屋敷(てっぽうかじやしき)」と「清学院(せいがくいん)」があります。
「鉄砲鍛冶屋敷」は堺の鉄砲鍛冶井上関右衛門の家で、日本で唯一残る江戸時代前期の鉄砲鍛冶の住居兼作業場です。
堺の鉄砲鍛冶の中でも井上関右衛門は61もの大名と取引し堺でもトップクラスだったそうです。堺市の有形文化財に指定されています。
現在改修中で見学できませんが令和6年3月に改修が終わり公開される予定です。

鉄砲鍛冶屋敷の裏にある「清学院」はもともと修験道の道場だった建物を江戸後期から明治初期に寺子屋として使っていた建物です。
堺⽣まれで日本人で初めてヒマラヤ山脈を越えてチベットに入った河⼝慧海(かわぐちえかい)が学んだところとしても有名です。
ここも補修工事で令和6年3月上旬まで休館しています。

ここから紀州街道沿いに南下すると水野鍛錬所(みずのたんれんしょ)があります。
明治5年(1872年)創業の日本刀・庖丁を鍛える工房で、鞴(ふいご)のある古い工房が現役活動しています。
戦後の法隆寺の大改修の時、国宝五重塔九輪の四方にかかっている「魔除け鎌」を鍛造し、昭和27年(1952年)に奉納されたそうです。
グループで事前に予約すれば製造工程の見学も可能です。

水野鍛錬所から紀州街道沿いをさらに南に進むと、綾之町の電停近くに綾之町商店街があります。
ここは商店街の真ん中を阪堺電車の線路が横切るという珍しい商店街です。
チンチン電車に遭遇したらラッキーです。

商店街からもう一度紀州街道に戻ると、カフェ&紙と堺と古墳の雑貨販売&レンタルスペース「紙カフェ」があります。
古墳グッズや堺柄など紙や堺、百舌鳥古墳群にまつわる品々を販売する堺LOVEに溢れるお店です。
お昼ご飯は隣にある「いろは鮓」さんでお寿司のテイクアウトをして「紙カフェ」でいただきましょう。
また奥には宿泊施設「知輪」もあるので、ここに泊まってディープな堺を堪能するのもいいかもしれません。
「紙カフェ」でお昼と堺土産の買い物をした後は更に南に進みます。

大道筋の一つ東の筋を南に下ると山口家住宅があります。
⼭⼝家住宅の主屋は、慶⻑20年(1615年)⼤坂夏の陣の戦火により市街地が全焼した直後に建てられたもので、国内でも現存する数少ない江戸前期の町家のひとつとして国の重要⽂化財になっています。
広い土間の上には立派な梁が架かり、壮⼤な空間を作っています。

堺と言えばお茶、寺町界隈を回る前に一服するため、大道筋を少し南下して神明町(しんめいちょう)にある「茶寮 つぼ市製茶本舗 堺本館」に向かいましょう。
「市中の山居(しちゅうのさんきょ)」をコンセプトに戦災で焼け残った元禄時代の商家をリノベーションした日本茶カフェです。
堺の刃物で削った絶品のかき氷や抹茶をベースにした各種スイーツ、茶粥ランチなどどれも美味しいのですが、個人的な一押しはお茶のプロが淹れた「玉露」です。お茶の本当の美味しさに驚くと思います。

ひと休みしたら堺の寺町散策に出かけましょう。
まずは「西本願寺 堺別院」です。
ここは明治時代の初期「堺県」県庁がおかれたところです。
「堺県」は明治元年に和泉国の旧幕府領・旗本領を管轄するためにが設置された県です。一時は大阪府の半分ぐらいと奈良県を合併した広さになりましたが、明治14年に大阪府に合併され「堺県」は消滅しました。

「西本願寺堺別院」の次は「妙国寺」へ向かいます。
戦国時代に創建された日蓮宗のお寺で、織田信長の命令で安土城に持っていかれたものの、毎夜「堺に帰りたい」と泣いて恐れた信長が堺に返したという「夜泣きの蘇鉄(そてつ)」が有名です。
樹齢1,100年を超えるこの蘇鉄はその後も大坂夏の陣と第二次世界大戦という2度の戦火をくぐり抜けて今も堺を見守っています。
妙国寺はまた、幕末に起きた「堺事件」という哀しい事件の舞台でもあります。堺に上陸したフランス兵と警備の土佐藩士との間で起こった争いの責任をとらされた土佐藩兵士11名が妙国寺の境内で切腹しました。境内には土佐藩士割腹跡の碑が立ち、供養塔も建立されています。

妙国寺のあたりは戦災にあってほとんど昔の面影は残っていませんが、中世環濠都市の名残が見られる場所があります。
妙国寺を少し東に進むと阪神高速道路の高架が見えてきます。
その手前に緑地が左右にずっと伸びているのですが、そこがかつての環濠の掘の跡です。
堀は全て暗渠となって埋められていますが「極楽橋」という昔の石橋がそのまま残されています。

環濠の名残を見たところで来た道を引き返して西に向かいます。7分ほどで大道筋(だいどうすじ)という大きな道に出ます。
この道は最初に歩いた紀州街道の延長なのですが、戦後拡張されて大きな道路になっています。
ちょうど阪堺電車の「妙国寺前」という電停があるので疲れた方はそこから電車に乗って「大小路」まで行かれてもいいですが、元気な方は手前のたこ焼き屋さんの角を左折して南へ。
途中肉桂餅で有名な「八百源」や堺の天神さん「菅原神社」を通って20分ほどで大小路の「山之口商店街」に着きます。
そこから「山之口商店街」をブラブラするか、はたまた堺東方面、堺駅方面に行くかはお好みで。

この歩き方でご紹介したスポット

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